NHK「100分de名著」を見ている。
国内外の様々な名著を1か月間4回に分け、研究者が解説してくれる番組だ。
要点をかいつまんだ解説とそれを受けた伊集院光さんの鋭い発言が見所で、私はこれを唯一録画して視聴するほど好きである。
2024年の4月の「名著」はフロイトの「夢判断」だった。
奇しくも私はフロイトが研究対象とした「神経症」患者であり、加えて通院先の先生もフロイトを半ば崇拝している。
フロイトの理論が少しでも理解できれば治療が進むかもしれない。
そう考え、いつもよりもはるかに邪な思いで見始めた。
第3回で取り扱ったのは「エディプス・コンプレックス」であった。
エディプス・コンプレックスとは、3歳から6歳くらいの子供が異性の親への性愛と、同性の親への敵対心をもつ状態のことである。
「神経症は、幼児期の愛情生活の破綻に起源をもつ」とし、フロイトはこの理論を確立したようだ。
ただし、エディプス・コンプレックスは本当のところは、男女で非対称であるとフロイトは言う。
つまり、男女ともに異性の親に性愛的な感情を抱くのではなく、男女ともに最初の愛の対象は母親であるというのだ。
医療に従事する両親はこれを見落としていた。
そして、私の幼少期を振り返って、あれはエディプス・コンプレックスだったと思ったことがあると言った。
吐き気がするほど嫌だった。
性愛的な感情など持ったことがなかった。
むしろ、私の父への関心は薄かった。
それは父の子供への関心が薄いことに気付いていたからだ。
それでも、父が家庭で孤立しないよう気にかけたのは、私が持つ慈愛の精神からくるものだった。
父に話しかけ、手を繋ぎにいき、返事の来ない手紙を書き、幼稚園で描いた似顔絵を渡した。
父の接し方は対象年齢を誤ったもので、5歳の私に1歳児ならギリギリ喜びそうなアプローチをしたが、努力を無下にできなくて、つとめてニコニコして過ごすようにした。
稀に家族で出かけても、父のまわりには誰も寄りつかない。
その背中がただ、悲しそうに見えてしまったのだ。
その結果、親からは「エディプス・コンプレックス」と言われ、祖母からは「お父さんが大好きな子」と言われた。
記憶にはないが、大人が喜ぶならと心にもない「お父さんと結婚する」というまやかしのフレーズを言ったこともあったのかもしれない。
私はそういうパフォーマンスをしてしまう子供だった。
周囲の人間が勘違いしてしまうのも無理はないのかもしれない。
しかし、私は親や祖母の言葉をはっきり否定して本心を明かすこともなかった。
余計に父が可哀想だと思ったからだ。
私はただ口をつぐんでいた。
父に書いた手紙は何十枚にも及んだと思う。
日中、父に会うことはないので直接渡すことはできない。
代わりに父の書斎の机に置くようにしていた。
返事は全くないし会話もないので、一方通行ではあったが、きっと読んでくれているだろうと満足していた。
ところがあるとき、一通の返事が来た。
大人向けの無地の便箋が三つ折りになっていた。
中を開くと端正な字が縦書きで並んでいた。
「今度の休みには一緒にどこにいこうか考えています。海に行こうか山に行こうか考えています。〇〇ちゃんも考えておいてください」
父と海や山に出かけたことはなかった。
ワーカホリックだった父に休日らしい休日はなく、たまの休日に家族で出かけても父は大抵仕事で呼ばれ、道中を家族みんなで引き返す。
一緒に海や山に行く休日はこの先来ることがないことを私は分かっていた。
そもそも当時住んでいた沖縄に山らしい山もない。
海の対義語として山を書いただけだったのだろう。
変な手紙だと思った。
本当にこれを父が書いたのだろうかと思った。
それでもこの、大学教授が初めて会う孫に書いたようなぎこちない文章はとても眩しくかっこよく映って、私を高揚させた。
返事を書こうとしたが、父の大人の文章力の前では自分の言葉の稚拙さが浮き彫りになるようで恥ずかしかった。
それでも鉛筆で文章を書いてみては消し、書いてみては消し、何度も下書きを試みた。
しかしボールペンで端正に書かれた父の字と比べると、鉛筆で強い筆圧で書いた私の筆跡のなんと幼いことか。
文章を書く力も文字を書く力も、返事を書くには及ばなかった。
結局それ以来父に手紙を書くことはなかった。
もちろん、父から手紙が来ることもなかった。
大人になってから、返事のこない手紙を書く私を見かねて、母が父に返事を書くように言ったことを知った。
父の休日がなかったのはワーカホリックだったからという理由だけではなかったことも知った。
子供がうるさいという理由で、仕事がなくても職場に行き、本を読んでいたらしい。
父の不可思議な距離感で書かれた手紙は、やはり子供への愛情の稚拙さを現していたんだと思った。
結局フロイトの指摘通り、私が猛烈に愛を寄せ、求め続けたのは母だった。
本当は姉たちを押し退けて、母と手を繋ぎたかった。
母だけに話を聞いてほしかった。
父に懐かない姉たちのことも、子供がうるさいからと子育てに関わらない父のことも、全部無視して、母に縋りつきたかった。
私はそれができない子供だった。
幼稚園に入園する前のすこしの間、母とふたりきりで過ごした時間がある。
私は3歳になったばかりで、まだ幼稚園に入園できず、2歳上の姉が幼稚園から戻るのを母と待っていた。
池の淵に座って亀に餌をあげたり、図書館でたくさんの本を読んだりした。
母は疲れて私の横で眠っていたこともあったが、それすらも心地よかった。
母の隣に私だけがいる。
母の手が私の手だけと繋がれている。
母の優しい声が私の名前だけを呼んでいる。
母が着ていた黄色いコートの柔らかな質感も、母の体温のあたたかさも、母の笑顔のやわらかさも、すべてが映画のワンシーンのように深く深く記憶に刻まれている。
母はまばゆい光のなかにいて、私だけを見つめている。
あの時間が人生のうちで、最も輝いていた、宝石のような時間だったと思う。
思い出すたびにあたたかいものに襲われる。
そんな日々を結局いまも追いかけているとすれば、私はいまも非対称なエディプス・コンプレックスのなかにいるのだろう。