暇コラム

鬱病と生きる会社員のブログ

終戦の日の話

以下、8月に書いた文章である。
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8/15

8月15日は日本国民にとって、意味深い日である。
二度の原爆を経て、ようやく終わった戦争を思い返す一日だ。

しかし、この「終戦の日というものは正式には1982年に制定されたものらしい。
玉音放送を国民が聞いた日、つまり多くの国民にとって終戦を認識した日を終戦の日としたようだ。

玉音放送の内容は前日の8月14日に決まっていたし、政府が降伏文書に署名したのは9月2日なので事実上の終戦や正式な終戦は別の日というとらえ方もある。
終戦後も捕虜として抑留されていた人々がいたことを考えると、8月15日の随分あとまで、各々の戦争は続いていたと言うのが正しいだろう。

文化人類学では、「儀式」とは、一続きの人生に区切りを与えるものと定義されている。
実際には儀式の前後で人生が途切れるわけではないが、儀式によって疑似的に人生を分断することで人は変化を受けいれていく。
終戦の日も日本国民にとってそうした意味合いを秘めているのではないかと思う。
実質的な戦争は8月15日で一区切りに、きれいに終わったわけではないが、終戦の日という日を儀式的に制定することで人々は現実を飲み込んでいく、そうした役目を果たしているように思う。

しかし、社会学的観点からみれば、
終戦の日は「同調」を強要してはいないかという疑問が頭をもたげる。

ある母親にとって終戦の日とは、
戦地に赴いた息子が石ころひとつになって帰ってきた日かもしれないし、
終戦を知らないまま数十年生活していた日本兵にとっては終戦を知ったその日が終戦の日かもしれない。
米軍基地が多く残る沖縄県にとっては、戦争はいまも終わっていないとすら言われる。
実質的な終戦の日は日本人の数だけあって、本来は統一できるものではないだろう。
それでも日本政府は、ある1日だけを「終戦の日」として、その日に追悼式を行う。
報道機関は一斉に特集を組み、戦争の記憶を呼び覚まそうとする。

他と同じ意見や同じ感覚をもつことを社会学では「同調」という。
各々のバラバラな終戦ひとつの日にまとめようとする、つまり終戦の日を制定することで、同調するよう国民に圧力をかけているというのはさすがに考えすぎだろうか。

個性が叫ばれるようになった現代で、国家はますますまとまりを欠いている。
その中で、国民に共通の概念があれば、統制や支配は容易になる。
かつてプロパガンダが国民を煽り、日本を総力戦に掻き立てたように、悲しみや怒りという負の感情が国民を統制、支配しやすいことは歴史が証明するところだ。
加熱する国家競争の中で、終戦の日がそういった使われ方をされないことを祈るばかりである

日々の忙しさで過去を忘れてしまいがちな現代人がふと立ち止まって、先人たちや世界について考える。
終戦の日はずっと、そんな一日であってほしいと思う。

時には、アカデミックなことを書いてみようと思い、筆をとった。
多少は人文科学を学んだ雰囲気が出ていただろうか。