暇コラム

鬱病と生きる会社員のブログ

クリスマスの話

クリスマスの高揚感よりも、 出勤最終週の高揚感が勝ってしまうのは、雇われている人間の悲しい性である。
イルミネーションに照らされた街並みに心がおどらないわけではないが、今年の12月25日は週のどまんなかの水曜日であり、 サラリーマンにとってはただの冬の寒い一日である。


せめて気持ちだけでもと、 ありったけのクリスマスグッズを自宅に飾っているが、ハロウィン終わりからずっと飾っているのでもはや風景と化している。
枕元の小さいサンタも岸優太の写真のうしろでやや気まずそうにしており、なんだか申し訳ない。


思い返すと子供の頃のクリスマスは特別で、 夢がつまった一日だった。
休業中だった母は行事ごとを大切にしてくれていたから、 それはとても楽しかった。
幼少期を過ごした沖縄では、クリスマスの高揚感はより宗教的な色をみせる。
その他にはない空気感がまた、思い出を特別なものにした。


仕事をするようになり、 たしかに欲しいものは自由に買えるようになった。
子供の頃欲しかったおもちゃも文房具も、 大抵のものは一日働けば買えてしまう。
ただ、 顔もわからないどこかの誰かが自分を想ってプレゼントを届けてく れるという、
あのあしながおじさんのようなときめきはお金では買えない。
クリスマスが特別なのは、 普段うけている周りの大人からの愛情以外で、どこかの誰かに愛されているという漠然とした新鮮な愛を感じられ るからかもしれない。
 
子供の頃の夏がもう帰ってこないのと同じように、 子供の頃のクリスマスももう帰ってこない。
クリスマスはどこかそんな切なさを纏っているように思う。


昨年まで30年間祝日だった12月23日も、 今年から平日になってしまった。
上皇誕生日として過ぎた時代をいとおしむ1日にしてくれても一向 にかまわないのだが、思いは届かず、しぶしぶ出勤している。
しかし、天皇誕生日、クリスマスイブ、 クリスマスという流れは間違いなく日本のクリスマスを彩っていたと思う。来年から「上皇誕生日」が復活することを祈っている。
そうすれば大人も多少はクリスマス気分を味わえて楽しくなるかも しれない。


そんなことをつらつら考えているうちに、 今年最後の出勤週の1日目が終わろうとしている。
なんとも色気もまとまりもない文章だが、 クリスマスの高揚感ということで許してほしい。
仕事納めまであと4日、 来年の自分に期待をしながら粛々と過ごしていきたい。