暇コラム

鬱病と生きる会社員のブログ

自分の機嫌をとる話

ここ数日、すこし人に会いすぎている。
金曜日、日曜日、月曜日と連続で人に会った。
会う時間は楽しいが、過ごした時間をひとりで咀嚼する時間が必要だ。
その時間が今圧倒的に足りていない。
しばらくはあまり人に会わずに自分や自分の趣味に向き合うようにしたい。

元々、人に会うのが好きなタイプではないのだと思う。
家でひとりで過ごすのがなによりも好きだし、
両親が寝静まった家でひとりお酒を片手に録画したテレビ番組をみたり、
自室でアロマをたいて映画をみたりする、そんな時間が一番幸せだ
自分の中のすべてが緩んで、緊張がとけていくのを感じる。
日々の悲しみや悔しさ、表現できない様々な感情をそういう時間でゆっくり飲み込んでいる

生活の愚痴はできるだけ面白く、あるいは前向きに言いたいと思っている。
疲れた自慢や手柄アピールは聞いている側の神経がすり減るだけだ。
面白いエピソードに昇華できないなら、せめて話の締めが前向きになるように整理をしてから人に話す。
それもできなければ自分で落ち着くまで消化していくしかない。

大抵の場合は愚痴を面白くも前向きにもできないので、
いやなことがあればフォロワー0の鍵アカウントを使ってSNSで吐き出す。
そうするとすこしずつ感情がまとまって、結局努力あるのみだという気持ちに落ち着く。
気持ちが落ち着けばアイドルの動画をみてテンションをあげる。
自分で自分の機嫌をとって、人に当たらない。
まだまだできないこともあるが、そういう大人でいたいと思っている。

さて、そういう大人でいるためには、自分がどうなれば機嫌がよくなるかを知るのが不可欠になる。
数か月前までそれがわからず気持ちがなかなか落ち着かないときもあった。
しかし、今夏岸くんに出会ってから岸くんを見れば機嫌がよくなるようになった。
これは大きな発見である。
イライラすることがあっても疲れていても、岸くんを見ればある程度落ち着き、回復する。
岸くんは精神安定剤で今こころの中の大部分が岸くんに依存している。

もちろん、岸優太という存在は偶像で現実ではない。
岸優太とは、岸くんのまわりの大人が作った虚構のアイドルだ。
生身の岸くんを愛しているわけではないと理解しているからこそ、
どこまでものめりこむことができる。
所詮ファンは消費者に過ぎないのだから、人生をできるだけつらくなく生きるために世の中にあふれる商品を消費して生きていけば良い。
この感情は役として相手役に恋をする感覚に似ていると思う。
アイドルのオタクはそういう演劇的な虚構が好きなのかもしれない

n度目の岸くんの話

King&Prince 岸優太くんを好きになってから、すっかり紫が好きになってしまった。(念のため書いておくが、紫は岸くんのメンバーカラーである)
紫色であれば何でも欲しくなってしまう。特に身に着けられるものがいい。
今日も、GUで紫の部屋着が発売されているらしいというのを見てから、GUに行きたくて仕方なくなっている。
ついでに岸くんが最近よく来ているようなビッグシルエットの長袖のTシャツも欲しいし、ダボダボのパーカーも欲しい。
オタクは本当に経済を回していると思う。
こうして岸くんの私物と同じキャップや靴を買うだけではなく、岸くんが履いていそうな靴や着ていそうな服まで買うようになった
岸くんが好きだと言う西海岸ファッションがなんなのかわかっていないが、なんとなく岸くんが好きそうなファッションを模倣している。
もはやこれは社会学的に言うシミュラークルである。
シミュラークルとでも呼んでおこうか。
この絶妙なダサさが岸くんのネーミングセンスに似ていていいと思う。

日曜日に注文した岸くんの写真がくるのが楽しみで待てない。
一刻もはやく届いてほしい。ベッドの周りを岸くんでいっぱいにしたい。
もちろん実生活をおろそかにしているということはわかっている。
少し前までこのままではよくないと本気で思っていたが、いろいろあって当分岸くんに専念することにした。
自分の中で岸くんを応援するスタンスがみえてきたということだろう。
これでもっと全力で岸くんを応援できる。
岸くんがいつまでもアイドルをやってくれるとは限らない。
岸くんがKing&Princeの一員として表舞台に立ってくれるこの時間を大切に、一生懸命応援していきたい。  

さて、以下、「いろいろあって」の詳細である。

公言しているつもりだが、私は実子を望んでいない。
結婚も少なくとも20代のうちはしたくない。
自分がマイノリティーであるという自覚はずっとある。
事実、結婚・出産を望んでいる前提で話をされることもとても多い。
私の反応が悪いと、まだ若いから結婚も出産もピンとこないのだろうと言われ、自分の子供は可愛いよと何万回も聞いたフレーズで子供の良さを語られる。
そういうときは大抵笑ってごまかすか、その場から離れて話を終わらせるようにしている。

でも、本当は自分の考えやスタンスが真っ当で、他の人は感覚が麻痺しているだけだと思っている。
冷静に考えればどちらが正しいのかはわかると真剣に思っている。
しかし、どうやらそうではないらしいこともすこしずつわかってきた。
一般的には実子は本当に「可愛い」し、血縁はすべてに先行するし、結婚や出産も当然喜ばしいことで幸せの象徴らしい。

でも、それが、私には本当に「ピンとこない」のだ。
断っておくが、子供は好きだ。かわいいと思う。夢中になって相手をする。
ただ、実子でなければいけない理由がわからない。
結局色々考えても、ピンとこない、それだけなのだと思う。

このまま自分の人生をなんとなく決めることはできないが、マイノティーとして生きていくならマジョリティーが享受する普通の生活を望んではいけない。
ここへ来てようやくそのことに気付いた。
それでも考えを変える気はないし、仲間を探すために時間を割く気力もない。
大好きな人と一緒にいれば、自分の望む生き方ができないことが一番悲しい。
大好きになるかもしれない人が私と一緒にいれば望む生き方ができないなら、
はやめに身を引いたほうがいい。

だから当分は岸くんだけを追いかけて、このやり場のないエネルギーを消費していこうと思っている。
自分のためだけに仕事と生活を頑張って、楽しく生きていこう。
恋愛でも恋愛でなくても、人とは真剣に向き合わないといけない。
誰かの大切な時間を無駄にしたいわけではないのだ。
そんな自戒を込めて自分の時間だけを使うように、今まで以上に真剣に岸くんを応援していきたい。

終戦の日の話

以下、8月に書いた文章である。
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8/15

8月15日は日本国民にとって、意味深い日である。
二度の原爆を経て、ようやく終わった戦争を思い返す一日だ。

しかし、この「終戦の日というものは正式には1982年に制定されたものらしい。
玉音放送を国民が聞いた日、つまり多くの国民にとって終戦を認識した日を終戦の日としたようだ。

玉音放送の内容は前日の8月14日に決まっていたし、政府が降伏文書に署名したのは9月2日なので事実上の終戦や正式な終戦は別の日というとらえ方もある。
終戦後も捕虜として抑留されていた人々がいたことを考えると、8月15日の随分あとまで、各々の戦争は続いていたと言うのが正しいだろう。

文化人類学では、「儀式」とは、一続きの人生に区切りを与えるものと定義されている。
実際には儀式の前後で人生が途切れるわけではないが、儀式によって疑似的に人生を分断することで人は変化を受けいれていく。
終戦の日も日本国民にとってそうした意味合いを秘めているのではないかと思う。
実質的な戦争は8月15日で一区切りに、きれいに終わったわけではないが、終戦の日という日を儀式的に制定することで人々は現実を飲み込んでいく、そうした役目を果たしているように思う。

しかし、社会学的観点からみれば、
終戦の日は「同調」を強要してはいないかという疑問が頭をもたげる。

ある母親にとって終戦の日とは、
戦地に赴いた息子が石ころひとつになって帰ってきた日かもしれないし、
終戦を知らないまま数十年生活していた日本兵にとっては終戦を知ったその日が終戦の日かもしれない。
米軍基地が多く残る沖縄県にとっては、戦争はいまも終わっていないとすら言われる。
実質的な終戦の日は日本人の数だけあって、本来は統一できるものではないだろう。
それでも日本政府は、ある1日だけを「終戦の日」として、その日に追悼式を行う。
報道機関は一斉に特集を組み、戦争の記憶を呼び覚まそうとする。

他と同じ意見や同じ感覚をもつことを社会学では「同調」という。
各々のバラバラな終戦ひとつの日にまとめようとする、つまり終戦の日を制定することで、同調するよう国民に圧力をかけているというのはさすがに考えすぎだろうか。

個性が叫ばれるようになった現代で、国家はますますまとまりを欠いている。
その中で、国民に共通の概念があれば、統制や支配は容易になる。
かつてプロパガンダが国民を煽り、日本を総力戦に掻き立てたように、悲しみや怒りという負の感情が国民を統制、支配しやすいことは歴史が証明するところだ。
加熱する国家競争の中で、終戦の日がそういった使われ方をされないことを祈るばかりである

日々の忙しさで過去を忘れてしまいがちな現代人がふと立ち止まって、先人たちや世界について考える。
終戦の日はずっと、そんな一日であってほしいと思う。

時には、アカデミックなことを書いてみようと思い、筆をとった。
多少は人文科学を学んだ雰囲気が出ていただろうか。

アイドルの話

ジャニーズのファンには、愛称があるらしい。
たとえば、関ジャニ∞ならeighter、嵐ならアラシック。
若干昭和臭が漂うが実にわかりやすいし、
ファンもラベリング効果で一体感がうまれ、治安に良さそうである
しかしこの関ジャニ∞や嵐は比較的わかりやすいのだが、
問題は若手のグループである。
KAT-TUNはハイフンで、NEWSはパーナらしい。
KAT-TUNはそれぞれのアルファベット担当のメンバーがおり、
『-』だけがどのメンバーにもふられていないことからファンの愛称になったと推察できる。
NEWSは4人になって初めての楽曲であるなんとかパーナからつけたようだ。
これを調べてはじめてNEWSがかつて5人以上だったと知った)
そして、最も若いグループのKing&Princeはティアラである。
もはや何者でもない。
"キンプリ"はティアラという楽曲名を出していないし、
もちろんグループ名にもそれらしきものはない。
なぜティアラなのかわからないが、非常におしゃれで現代的な名称である。

ちなみにハロプロにはそういった類のものは一切ない。
すべて「○○ヲタ」で統一されている。
「娘。ヲタ」「J=Jヲタ」などというようにグループ名の略称+ヲタで表現する。
ジャニーズのファンには中高生が多い。
造語をうみだす文化をもつ彼女たちにとって、愛称をうみだすというのはごく自然なことなのかもしれない。

ここまでジャニーズの話をしてきたが、私自身はジャニーズ全盛期に青春をすごしておきながら、特にジャニーズが好きなわけではなかった。
嵐やKAT-TUNが人気を席捲する中、私は細々と20歳以上年上の人気俳優たちを応援していた。
正直、ジャニーズメンバーにはジャニーズでなければイケメン枠ではなさそうなメンバーもいるように思えていたし、肩書の力は偉大だなあなどと思っていたのだ。
それが、ついこの間、ジャニヲタの沼に足を踏み入れてしまったのである。
きっかけらしいきっかけがあったわけではない。
メディアに露出するたびになんとなく気になっていたのが、見続けることで好きに変わってしまった。
完全に単純接触効果である。
この単純接触効果により、私は『ティアラ』さんになってしまった。

前述のとおり、ティアラとはKing&Princeのファンの愛称である。
中でもリーダーの岸優太くんがとても好きになってしまった。
岸くんと仲がいいという点で他のメンバーもそれなりに好きだが、『担当』は岸くんだけである。
ティアラデビューしたことで、ティアラの由来を調べてみたのだが、これはメンバー命名らしい。
アイドル商法が「手の届かない存在」から「一体感」に変化していることがよくわかる。

さて、岸くんを好きになったことで私はある事実を認識することになる。
私は、もうそれほど若くないということである。
中高生のころ親ほど年の離れた俳優に夢中になったのは、自分にも、同世代にもない落ち着きやオーラがあったからだ。

岸くんは1995年うまれで、年齢は1つしか違わないのだが、20代前半独特の圧倒的な輝きがある。
その輝きが非常にまぶしい。
それは、あの特有の輝きを見慣れなくなったからであり、私自身から若さゆえの輝きが失われつつあるということに他ならない。
切なさで胸がいっぱいだが、岸くんを追う日々は非常に潤いにあふれ、楽しい。
これからもしばらくはティアラとして岸くんを応援していきたいと思う。

解離性障害の話

10月が終わる。
ここまでのスピードで時が過ぎ去ってしまうともはや悟りの域である。
感覚が麻痺した状態に身を置きながら、24歳最後の1か月を迎えようとしている。
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解離性同一性障害という言葉がメディアに出始めたのはここ最近ではないかと思う。
それまでは俗称である「多重人格」としてメディアに露出していた。
キャッチーな病状であることも手伝っておもしろおかしく報道された結果、解離性同一性障害は大きな誤解の犠牲者となった。

その誤解をほどく作業を今、当事者が傷つきながら行っている。

先日テレビ番組に出演したのは解離性同一性障害の20代の患者で
主人格を含めて10の人格と付き合いながら、一見「安定した生活」を送っていた。
カメラの前でいくつもの人格が自然にいれかわっていく様は、これまで報道されてきた「多重人格像」とは異なり、実に穏やかに描かれていた。
無論、想像を絶するエネルギーで病魔や偏見と戦う生活が穏やかなはずはない。
主人格以外の人格があらわれると、当然ながら主人格はその間の記憶をなくす。気が付けば知らない場所にいて、知らないことをしていて、周りだけが変わっている。
の恐怖がどれほどのものか、患者以外が安易に想像することはできない。

解離性同一性障害の専門家は極めて少ないものの、治療例がないわけではないようだ。
主人格以外の人格をすこしずつ消していき、最終的に主人格だけを残すというのが治療であると言われている。
ただ、自己防衛のために人格を生み出した患者に付け焼刃として治療を施しても、同じ状況が再度生み出されることは想像に難くない。
解離性同一性障害を抱える出演者は、医師の「あなたを守るためにうまれてきた人格を消す必要はない」という言葉で病気を受け入れる勇気を持てたと言う。
他者や自己に危害を加える人格がいないのであれば、人格と共存することもひとつの選択肢なのだろう。
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私が解離性障害※と診断されたのは、中学2年生のときだった。
なにもしていないのに、身体が震える。
椅子に座ってじっとしていると冷や汗が止まらない。
本を読むと、紙の上で文字がすべって消えていき、頭に入らない。
痙攣する手で鉛筆を握りしめ、なんとかガタガタの字を書いた。
手は真っ赤になったが、痛みはなかった。
昨日できたことが今日はできなくなっている。そんな日々が続いた。

なにをみても、なにをしても心が動かなくなった。
すこしずつ、映画の世界に入っていくかのように現実感が消失した
自分がおかしいことはわかっていた。
でも、いつか元通りになると期待をしてやり過ごすしかなかった。

やがて、自分のうしろから、鍵穴を覗くように自分を見ている
もうひとりの自分がいることに気付いた。
徐々にその感覚は強くなり、もはや鍵穴から見ている自分が自分なのか、
自分本体が自分なのか、わからなくなっていった。
記憶もおかしくなった。
自分の部屋を忘れ、朝目覚めるたびに知らない場所にいると思い込んでは混乱した。家族の顔すら忘れたこともあった。

病気だと診断されたときは、正直ほっとした。病気なら治るからだ。
いつか必ずこの気持ちの悪い映画のような世界がはじけ、元の世界に戻ることができる。
だが、何か月経っても、何年経っても、結局「映画の中にいるような感覚」は消えることはなかった。

良くなっては悪くなり、悪くなっては良くなり、それを繰り返しながら、今随分と状態は落ち着いた。
文字の読み書きに支障はないし、電話の音に怯えることもない。
電車に乗って遠方へ出かけるのも苦痛ではない。生活は問題なく送れている。
それでも、ぼうっと膜がはったようなおかしな感覚は根強く残っている。
ひどく疲れやすいのも治らない。
生活をするのに人よりエネルギーを使うようで、なにもしていなくても異常な倦怠感で休日は泥のように眠ってしまう。

これは寛解することはない、一生うまく付き合っていくしかないものなのだと、10年経ってようやく気付いた。
受け入れざるを得ないと今は半分諦めながら、自分が苦しくならない方法を模索している。
10年も経つと、わるい兆候がわかるようになるもので、完全に壊れてしまう前に手を打てるようになっている。
外から見ていたらきっとわからないと思う。
わからないレベルまでコントロールできているのだから、まずまずだろう。

こういう病気があることをわかってほしいとか、
病気のことを理解してほしいとか、そんなふうに思えるほど私はやさしい人間ではない。
勝手に同情して涙され、労われるのもこりごりだ。
それでも、一見普通に生活を送っているように見える人間が、実はそうではないこともあると知ってほしいと、期待している自分がいる。
異常と正常とは、黒と白ではっきりわかれるわけではなく、その間には大きなグレーゾーンが横たわっていることを知ってほしいと思う。
我々はしばしば、理解ができないものを別世界だと認識してしまう。
しかしその世界は我々が所属する世界と、確かに地続きなのだ。

いまや経済成長が頭打ちになった元先進国に生きて、次の希望は本当の意味での包括社会ができあがることだと思っている。
その一助になれるように、経験を発信していきたい。
多くの人々のうち、誰かひとりにでも響いてくれたら嬉しいと思っている。

 ※私の診断名は解離性障害のうち、「離人症」等であった。
いわゆる多重人格にあたる解離性同一性障害も、
この解離性障害のうちのひとつである。
このあたりは心療内科のウェブサイトに詳しいので、
興味があればまずはそういったサイトの閲覧をおすすめする。

【後述】
次回から投稿の9割はKing&Prince 岸優太くんの話になると思います。
高低差で耳がキーンとなるので、飴を用意してください。