暇コラム

鬱病と生きる会社員のブログ

解離性障害の話

10月が終わる。
ここまでのスピードで時が過ぎ去ってしまうともはや悟りの域である。
感覚が麻痺した状態に身を置きながら、24歳最後の1か月を迎えようとしている。
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解離性同一性障害という言葉がメディアに出始めたのはここ最近ではないかと思う。
それまでは俗称である「多重人格」としてメディアに露出していた。
キャッチーな病状であることも手伝っておもしろおかしく報道された結果、解離性同一性障害は大きな誤解の犠牲者となった。

その誤解をほどく作業を今、当事者が傷つきながら行っている。

先日テレビ番組に出演したのは解離性同一性障害の20代の患者で
主人格を含めて10の人格と付き合いながら、一見「安定した生活」を送っていた。
カメラの前でいくつもの人格が自然にいれかわっていく様は、これまで報道されてきた「多重人格像」とは異なり、実に穏やかに描かれていた。
無論、想像を絶するエネルギーで病魔や偏見と戦う生活が穏やかなはずはない。
主人格以外の人格があらわれると、当然ながら主人格はその間の記憶をなくす。気が付けば知らない場所にいて、知らないことをしていて、周りだけが変わっている。
の恐怖がどれほどのものか、患者以外が安易に想像することはできない。

解離性同一性障害の専門家は極めて少ないものの、治療例がないわけではないようだ。
主人格以外の人格をすこしずつ消していき、最終的に主人格だけを残すというのが治療であると言われている。
ただ、自己防衛のために人格を生み出した患者に付け焼刃として治療を施しても、同じ状況が再度生み出されることは想像に難くない。
解離性同一性障害を抱える出演者は、医師の「あなたを守るためにうまれてきた人格を消す必要はない」という言葉で病気を受け入れる勇気を持てたと言う。
他者や自己に危害を加える人格がいないのであれば、人格と共存することもひとつの選択肢なのだろう。
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私が解離性障害※と診断されたのは、中学2年生のときだった。
なにもしていないのに、身体が震える。
椅子に座ってじっとしていると冷や汗が止まらない。
本を読むと、紙の上で文字がすべって消えていき、頭に入らない。
痙攣する手で鉛筆を握りしめ、なんとかガタガタの字を書いた。
手は真っ赤になったが、痛みはなかった。
昨日できたことが今日はできなくなっている。そんな日々が続いた。

なにをみても、なにをしても心が動かなくなった。
すこしずつ、映画の世界に入っていくかのように現実感が消失した
自分がおかしいことはわかっていた。
でも、いつか元通りになると期待をしてやり過ごすしかなかった。

やがて、自分のうしろから、鍵穴を覗くように自分を見ている
もうひとりの自分がいることに気付いた。
徐々にその感覚は強くなり、もはや鍵穴から見ている自分が自分なのか、
自分本体が自分なのか、わからなくなっていった。
記憶もおかしくなった。
自分の部屋を忘れ、朝目覚めるたびに知らない場所にいると思い込んでは混乱した。家族の顔すら忘れたこともあった。

病気だと診断されたときは、正直ほっとした。病気なら治るからだ。
いつか必ずこの気持ちの悪い映画のような世界がはじけ、元の世界に戻ることができる。
だが、何か月経っても、何年経っても、結局「映画の中にいるような感覚」は消えることはなかった。

良くなっては悪くなり、悪くなっては良くなり、それを繰り返しながら、今随分と状態は落ち着いた。
文字の読み書きに支障はないし、電話の音に怯えることもない。
電車に乗って遠方へ出かけるのも苦痛ではない。生活は問題なく送れている。
それでも、ぼうっと膜がはったようなおかしな感覚は根強く残っている。
ひどく疲れやすいのも治らない。
生活をするのに人よりエネルギーを使うようで、なにもしていなくても異常な倦怠感で休日は泥のように眠ってしまう。

これは寛解することはない、一生うまく付き合っていくしかないものなのだと、10年経ってようやく気付いた。
受け入れざるを得ないと今は半分諦めながら、自分が苦しくならない方法を模索している。
10年も経つと、わるい兆候がわかるようになるもので、完全に壊れてしまう前に手を打てるようになっている。
外から見ていたらきっとわからないと思う。
わからないレベルまでコントロールできているのだから、まずまずだろう。

こういう病気があることをわかってほしいとか、
病気のことを理解してほしいとか、そんなふうに思えるほど私はやさしい人間ではない。
勝手に同情して涙され、労われるのもこりごりだ。
それでも、一見普通に生活を送っているように見える人間が、実はそうではないこともあると知ってほしいと、期待している自分がいる。
異常と正常とは、黒と白ではっきりわかれるわけではなく、その間には大きなグレーゾーンが横たわっていることを知ってほしいと思う。
我々はしばしば、理解ができないものを別世界だと認識してしまう。
しかしその世界は我々が所属する世界と、確かに地続きなのだ。

いまや経済成長が頭打ちになった元先進国に生きて、次の希望は本当の意味での包括社会ができあがることだと思っている。
その一助になれるように、経験を発信していきたい。
多くの人々のうち、誰かひとりにでも響いてくれたら嬉しいと思っている。

 ※私の診断名は解離性障害のうち、「離人症」等であった。
いわゆる多重人格にあたる解離性同一性障害も、
この解離性障害のうちのひとつである。
このあたりは心療内科のウェブサイトに詳しいので、
興味があればまずはそういったサイトの閲覧をおすすめする。

【後述】
次回から投稿の9割はKing&Prince 岸優太くんの話になると思います。
高低差で耳がキーンとなるので、飴を用意してください。