暇コラム

鬱病と生きる会社員のブログ

インド旅行の所感1

1週間のインド旅行から帰国した。
日本では隠されている人間の情熱や格差がむき出しになっている国で、くらくらするほど刺激的だった。自らの適応能力に驚くとともに、海外赴任への思いが強くなった1週間でもあった。

日本の情報の流れははやい。たった1週間離れただけで、色々なものが変わっていた。
ただ、いずれもテレビのむこうの話で、こういう情報に日常的にふれている生活自体、情報過多なのだろうと思う。
インターネットの情報は時折、五感でとらえた景色の新鮮さを消失させる。
仮想空間では、望んだ情報だけを切り取って受け取ることができるから、一歩間違えると自分の中の偏見を加速させる。
情報社会のことは肯定的にとらえているが、情報とうまく付き合っていく大人でいなければ、情報社会では生きていけないと自戒を込めて思っている。

日本は、ハイコンテクスト文化をもつと言われる。
ハイコンテクストとは、簡単に言えば「暗黙の了解が多すぎる」ということである。
身なりも行動も言葉も、すべて自制心をもつことを求められる。ネルギーを使う国だと思う。
一旦インドに慣れてしまうと、どこまで気遣いをすればいいのかわからなくなり、困惑する。
自らを縛る足かせをすこしずつほどいていく令和にできたら、もっと生きやすくなるはずだ。

日本はきれいで、香りのない国でもある。
格差は隠されて、汚いものが目に入らないようにできている。
帰国初日の会社のランチ会で、汐留の46Fから街を見下ろしながら高価な食べ物を口にして、ぞっとした。
うまれてからずっと、私はこういう世界で生きてきたのだと事実を突きつけられた気分だった。
平均よりも裕福な家庭で育ち、同じように裕福な友人に囲まれ、その誰もが大学を出て今はホワイトカラーに従事している。
これが世界だと思っていたわけではない。今の日本における高卒以下と大卒の間にある大きな断絶については理解しているつもりでいる。それでも、それは文字を通して学んだだけで、むきだしの現実として目の当たりにしたわけではない。

この世界がすべてではないかと錯覚してしまうほど、私は、同じような人としか付き合ってこなかったのだと思う。
予備校時代、世界史担当の講師が、歴史を学ぶ意味は自分の時代がどれだけ異常かを知ることにある、と教えてくれた。もっとたくさんのものをこの目で見て、聞いて、世界を知っていきたい。
自分の立ち位置がどれだけ特殊なのか知っていきたい。
探し続けている「やりたいこと」はきっとその先にあると思う。